何をしようというわけでもないが、男は長い間、在る民間慈善事業団体のスポークスマンを任じてきた。在京時分、何たびか断りを願ったのだけれど、公私に渡ってお世話になったさるひとのたっての希望ということもあって任じてきたわけだ。顔をきっと背けない、集い、見上げた一群に男は詩人として紹介される次第なのだが、その本性、実体なるものは果たしていかなるものなのか。文学を愛で、詩を織る姿が最も彼の本性に近いのか、...
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- 2006-01-30
- 『爛熟』不定期連載
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だが、僕は邪だ。自身の運命に抗するように週末ともなれば女を買い、に奔る。ひとのことはとかく冷淡に誹謗するくせに自分には極めて甘い性質の一事例。言い募ってくる女も居るが、たまにじゃれてやるだけで一緒に暮らそう、だなどとは毛頭、想わない。異性を愛すること、他人にこの魂を委ねてしまうこと、他者に気持ちを砕いてみせる、いわば胸襟を開くという所作、ただ寂しいと寄り添うてしまえるその様、僕はそのどれをも自...
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- 2006-01-29
- 『爛熟』不定期連載
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眼下に街中が見渡せるかのような外壁沿いの螺旋階段を下ばかり見つめながら登っていくと、息遣いが荒くなる前に眩暈が起こってくる。滞り、筆を持て余して先に進まぬ詩を綴っている時に、これにより相応しい感覚が、僕の心根を支配する。そんな瞬間は直ちに事をやめる。深く目を閉じ瞑想しても、唸り声をたとえば上げたとしても、良いものはきっと生まれやしない。 詩を編む時は大抵早朝だから、僕はやおら立ち上がって父の病...
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- 2006-01-29
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自作の詩を眺める。破れた襖の間から季節の移ろいを知る。この時間で既に翳っている。随分、陽が落ちるのが早い。晩秋。庭の紅葉がはらはらと舞ってまさか破れた襖の間に挟まるなんて。よせやい。いやに誇張ドラマぶってるじゃないか。 烏がカアカアと鳴く。田舎の村、だ。これは必然。 二十歩百歩二百歩と歩いた先の隣家から、回覧板は回って来る。応対に出た。「あら、おられたん?」と尋ねられる。ものを書く、という行為...
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- 2006-01-24
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父が四年前に昏倒、した。脳内出血であった。急を知り、古里に駆けつけた僕が見たものは、哀れかな、眼球が逆を向き、半身に痺れが残り、呂律が回らぬ父の変わり果てた姿、だった。幸い、意識は判然としており一命は取り留めたが、それが果たしてなんの喜びだったのか?、九年前に既に母を亡くし、ふたりの姉のひとりは嫁ぎ、この地に居ない。もうひとりは行方知れず。三兄弟の末っ子で長兄の僕しか、父の傍に居てやれる者は居...
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- 2006-01-24
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全く僕自身、これまでの半人生において流転の日々を繰り返してきた。煩瑣と歓喜と平凡と絶賛、執着と無関心、それらに付随するでっちあげと瓦解。世の中の人はほんにせわしなく邪で、機を見るに敏で、面白おかしく他者を眺める。実際、そこには実体などという物は無く、在るのは事象、だけだ。ひとのことはほんとに気にしており、わたし、なんぞを見据える気など毛頭、無い。自分さえ良ければ本望、か?、そうして僕もその只中...
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- 2006-01-24
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詩人の朝は早い。まどろみの最中、サクサクと味噌汁の具を切り刻む音は聞こえない。ドタドタと渡り廊下を駆け込む無粋の子供達も居ない。新聞配達員の吐く白い息など知ったことか。霧氷に閉ざされた寒村の朝。一人だ。一人故に、この心さえ何物かに取り付かれた、まるで哀れな禁治産者のように、右へフラフラ左へフラフラ、行くあてもなく顧みる路も無く、今日も今日とて、おんなじ毎度の夢の終章で目が覚める。 厭な気になる...
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- 2006-01-17
- 『爛熟』不定期連載
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のんびりと安穏と気ぜわしくない時が持ちたいから、宿屋を兼ねる温泉場へ、自転車を漕いで行く。自動車を使えばひどくあっという間、なのだけれど、僕は敢えて自転車に跨り地平を駆けてゆく。そうやって風を受けて疾駆してゆく様が、自身、なんとはなしに愉しみのひとつでもあるのだから、ここはさもさもゆっくりと進みたい、ものだ。夕闇が迫りくるも好し。知り合いに声、かけられるは否。そんな只中をゆっくりとゆっくりと行け...
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- 2006-01-15
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地方に知れた、日本地図にその名を刻む、僕は在る湖畔の村で生まれた。隣町、北側には活火山が在り、その恩恵を受けて温泉場が多数、点在しているが幼い頃にすでに飽いているはずのそれら湯に、いまや日一日浸っていたりしていると、物憂いことも、まぁままよと想えてくるから、時間の隔たりとは不思議なものだ。大いなる水の精と木樹の精に囲まれて、僕は日々の煩瑣なときから遊離しようと計る、わけだけれども、父が二十数年前...
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- 2006-01-08
- 『爛熟』不定期連載
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時を経て、男はもう四十を目前としていた。やんわりといやゆんわりと?これも自分らしげさと男は、自身の為では無い詩を編んでみた。その歳で愛しいと想えた女に対して、朗々(ろうろう)と謳いあげるかのような詩を、だ。結局、その男には詩を書く、という行為しか、残されていなかったわけだ。だが男は満足であった。俗世間の卑属(ひぞく)さを恨めしく想う、でもなし、いま現在の自身の境遇を嘲哂(あざわら)う、わけでもな...
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- 2006-01-01
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