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連載小説『爛熟』10

  眼下に街中が見渡せるかのような外壁沿いの螺旋階段を下ばかり見つめながら登っていくと、息遣いが荒くなる前に眩暈が起こってくる。
滞り、筆を持て余して先に進まぬ詩を綴っている時に、これにより相応しい感覚が、僕の心根を支配する。そんな瞬間は直ちに事をやめる。深く目を閉じ瞑想しても、唸り声をたとえば上げたとしても、良いものはきっと生まれやしない。
 詩を編む時は大抵早朝だから、僕はやおら立ち上がって父の病院へと尋ねて行く。午前十時、その刻を堺にこの四年間、大方前後して二日おき程度に僕はその時刻に父を見舞ってきた。
 父の症状は一時、自身で杖を付きながらも歩けるほどに回復したのだけれど、夜尿症を度々し、ケアの人々や看護師に怒られる段に及んで、おむつをつけるようになった辺りから、次第に歩行もままならなくなり、ふた月前から寝たきりのような状態になってしまっていた。ひとは自身で用を足しに行ったり、物を口から食わなくなったりし出したら、急速に衰えるのだということを、身内の者で目の当たりにして、まざまざと納得させられた。
 父は弱ってしまった。物を匙に乗せ口に含ませようと努めるのだが、ぽろぽろぽろぽろあらぬ方へと落とす。その事を恥かしがる風も、無い。表情が弛緩してしまっている。
 哀れだ。これが僕の、あの、父、だろうか。あの、酒に酔い、管を巻き、僕ら兄弟、姉妹を鬼面のような形相で殴りつけていた、父の末期の姿、だろうか。
 父の病室に背を向け、家路へと向かう最中、暗澹たる想いがこの胸を射抜く。運転席でハンドルを握る僕の両の手がブルブルと震え、まるでそれは他人の手でも在るかのように、悔恨の情が僕のこの胸を抉る。ほんにあの父は、現実なのか。今在る、この僕は幻じゃあないのか。なあんにもしてあげられない。なあんにも父に己はしてあげられない。母が死に、この世情に父が独りで放りだされた時、その娘達は、その息子達は、どこでどんな屈折に耐える時間を過ごしていたというのか。あの時、既に帰れた、筈だ。帰れた、筈なのに。
 母が黄泉の国にいざなわれ、親族が一人二人三人と去り、親子水入らずの当夜、父は、ちょっと酔った目をしながらも姉が敷いてやった寝布団を見やりながら、「やっぱり俺の娘やなあ」とひとりごちしていたっけ。
 自室に戻り、明かりを灯し、石油ヒータ-を稼動させ、筆を執り、原稿用紙に連綿たる事柄を書き込み始めれば、そのような時だけ、ほんの少しだけ僕の胸中には恨泥が除かれているような、気がした。長らくそんな刻に僕は書けずにいた筈、なのに。実父の介護という、けっして軽くは無い恨泥をほんの少しだけ遠巻きにしただけだろうけれど、僕は僕自身が生み出す詩の一説にまた、慰めを求めようとしているのだった。
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Appendix

Literature sight-seeing『風、早暁記。』

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introduction

風友仁(かぜともひと)

Author:風友仁(かぜともひと)
 
 沖に出たらば暗いでせう、
 櫂から滴垂る水の音は
 昵懇しいものに聞こえませう、
 ――あなたの言葉の杜切れ間を。

 月は聴き耳立てるでせう、
 すこしは降りても来るでせう、
 われら接唇する時に
 月は頭上にあるでせう。

 あなたはなほも、語るでせう、
 よしないことや拗言や、
 洩らさず私は聴くでせう、
 ――けれど漕ぐ手はやめないで。
   中原中也『湖上』拠り 
*『爛熟』この書を我が畏敬のひとり、中原中也の御霊に捧ぐ。


*an information desk *
皆々様の厚きご支持、心より傷み入ります。有難うございます。

*新たなる風の舞、ここに興つ。*
*謹告*当オンライン小説サイトでは、大変申し訳ございませぬが一切のコメント・トラックバック等は諸事情に拠り、お断りさせてもらっております。どうぞご了承くださいませ。*尚、この小説に関する全ての帰属権並びに著作権は筆者、風友仁にございます。個人で愉しむ以外のコピー、それらを商用の配布等に用いたりする行為は法律で禁じられておりますので是非、お止めくださいませ。現在公開中のものにつきましては、何の予告もなく、加筆、訂正、語彙、言い回しの変更、削除等行われる場合がございますが、それらについての更新情報等は行っておりませんのであらかじめご了承下さいませ。
*今後とも『爛熟』並びに風友仁の綾織る世界観にどうぞご支持、ご声援のほどを、宜しくお願い致します。
 
  2006・1・15 心を込めて。
         風友仁

*連載小説『爛熟』に就きまして*
 この物語は、空想の物語であり、一部事実を基に脚色なされておりますが、登場する人物及び団体の名称等、ある特定の人物及び団体等を示唆、揶揄、誹謗、中傷する類いのものではありません。飽くまでも架空の物語としてお読みくださいませ。またもしや名称、団体名等が同じでも飽くまでも架空の物語でありますのでその点、どうぞお知りおき下さいませ。皆様のご理解の程、何卒宜しくお願い致します。著者・風友仁


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Literature sight-seeing『風、早暁記。』

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