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連載小説『爛熟』29

  誉れ高き主よ、我の、この胸にとまれ。教会の最頂部に設けられている、その大鐘が勢いよく振幅を起(た)てれば一帯に響き渡る、それらはひとの悲しき性を癒す一定の韻律、になる。そこにパイプオルガンの伴奏と共に合唱隊の調べが重なり、辺りは啓蒙の民の敬虔なる祈りで満たされる。はずだ、はずだ、はずだ。はず、さ。
 詩人は、どこへ来たか。実父の死を受け、寒村にひとり取り残された詩人は、果たしてどういう想いでそこへ現れたのか。幾人かの編集人に、「想うことがあるから」と書き留めた詩文やれ詩評文やれ一纏(ひとまと)めにして、メールで送っておき、旅にさっさと出た。これまでも慈善団体やれ講演やれと父の介護が気忙(ぜわ)しく日帰りがほとんどの旅、みたいな寄る辺無き行脚は行っていたが、古里を離れ、既に八日、彼は、あの青春の蹉跌(さてつ)を噛み締めるかのように、その二十代、若き頃の馴染みの場所を訪れては想い、訪れては煩(わずら)い、感慨を繰り返していた。
 あれから、もう何年が経ったことか。青山の、鬱蒼(うっそう)とした森の、いや晴れやかな木漏れ日に照射する、きらきらと眩しい、伸びた枝葉がゆっくりとしなる、照り返しがその眼(まなこ)を抉(えぐ)る、側壁に無論、反照(はんしょう)している、それら太陽の微笑が、自然の万物が、健やかげに謳歌するかのような、そこへと翳した手のぬくもりが、肌のぬくもりが、あきらかにつるりとしており、まさに「初々しかった、のだ」と呟いた、あのうららかで、艶(つや)美しかれ初夏。それから、もう、十五年?、六年、十七、八年?、再び詩人はその礼拝堂のミサに、姿を現したのであった。詩人の最愛の異性、糸田怜子(いとだれいこ)はイエス・キリストにその想いを託す、信者であった。彼女はあの頃、揺れる心情のまま、けれど安息日には出来うる限り祈りを捧げにきた。小劇団の舞台女優。スポットライトを浴びた彼女は神々しく、いつしか引き込まれるように詩人も洗礼を享(う)けた。
 祈りとは懺悔(ざんげ)である。この汚らわしき欲望を満たす為に蔓延(はびこ)ってしまった、或いは生まれながらにして既にその欲望の種として、この世に生を受けた者、皆、その全ての穢(けが)れを、洗い流そうとする懸命なる儀式である。いやいや、それらを人間の本能と見据え、ひっくるめて許容する、大いなる魂を培おうとする、神聖なる儀式である。
 なのに、随分長い間、そこにひざまずかなかった詩人には、主のご宣託はあまりにも過酷であった?・・・・・・パイプオルガンの音(ね)と合唱隊の響音(きょうおん)。めまぐるしく交錯し、やがてその音は濁音となり、嬌声音となり、狂った死人が群れをなし叫び狂うかのような呻(うめ)きとなって、詩人の嚢中(のうちゅう)を掻(か)き乱した。あああ、やめてくれ、うるさい、割れそうだ、頭が・・・苦しい、いやだ、僕は死にたくない、僕は悪くない・・・僕は・・・僕は。
 詩人はそそとした静音(せいおん)の響きの最中、見上げた後ろ背に掲げられていたイエス・キリストの十字架に処せられた石像を後に、教会を出た。五十歩百歩と歩んでいく。ゆっくりゆっくり歩んでいく。往来に出た。そこで楽曲の舞いは潰(つい)えた。ひっきりなしの車の波。詩人の脇を通り過ぎる彼、彼女らはみんなげらげらと笑いあいながら、さも愉しげに自身の目的地に向かって闊歩(かっぽ)しているではないか。

 ・・・・・・ほんの一瞬、間だったね。僕も君らとおんなじ人間さ。
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Appendix

Literature sight-seeing『風、早暁記。』

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introduction

風友仁(かぜともひと)

Author:風友仁(かぜともひと)
 
 沖に出たらば暗いでせう、
 櫂から滴垂る水の音は
 昵懇しいものに聞こえませう、
 ――あなたの言葉の杜切れ間を。

 月は聴き耳立てるでせう、
 すこしは降りても来るでせう、
 われら接唇する時に
 月は頭上にあるでせう。

 あなたはなほも、語るでせう、
 よしないことや拗言や、
 洩らさず私は聴くでせう、
 ――けれど漕ぐ手はやめないで。
   中原中也『湖上』拠り 
*『爛熟』この書を我が畏敬のひとり、中原中也の御霊に捧ぐ。


*an information desk *
皆々様の厚きご支持、心より傷み入ります。有難うございます。

*新たなる風の舞、ここに興つ。*
*謹告*当オンライン小説サイトでは、大変申し訳ございませぬが一切のコメント・トラックバック等は諸事情に拠り、お断りさせてもらっております。どうぞご了承くださいませ。*尚、この小説に関する全ての帰属権並びに著作権は筆者、風友仁にございます。個人で愉しむ以外のコピー、それらを商用の配布等に用いたりする行為は法律で禁じられておりますので是非、お止めくださいませ。現在公開中のものにつきましては、何の予告もなく、加筆、訂正、語彙、言い回しの変更、削除等行われる場合がございますが、それらについての更新情報等は行っておりませんのであらかじめご了承下さいませ。
*今後とも『爛熟』並びに風友仁の綾織る世界観にどうぞご支持、ご声援のほどを、宜しくお願い致します。
 
  2006・1・15 心を込めて。
         風友仁

*連載小説『爛熟』に就きまして*
 この物語は、空想の物語であり、一部事実を基に脚色なされておりますが、登場する人物及び団体の名称等、ある特定の人物及び団体等を示唆、揶揄、誹謗、中傷する類いのものではありません。飽くまでも架空の物語としてお読みくださいませ。またもしや名称、団体名等が同じでも飽くまでも架空の物語でありますのでその点、どうぞお知りおき下さいませ。皆様のご理解の程、何卒宜しくお願い致します。著者・風友仁


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