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連載小説『爛熟』第三章25~33

  『爛熟』第三章 風友仁
『a mature 』/爛熟<RANJYUKU>・part3 an author;Tomohito Kaze
 
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 少女は気が遠くなるかのような白雪に覆われた田園の彼方を見つめながら、ひとり佇み、詩人を想っていた。その顔半分はマフラーに埋(うず)まっており、手袋で覆っておかなければかじかむように手先が痛い。両の瞳がきらきらと夕闇の斜光を受け、煌いている。見紛(みまが)うばかりの陽の輝きに、桜桃色にまるで火照ったかのようなその浮雲のゆらとした流れに、一条の線を引いたかのような淡い空の残り辺に、立ち上(のぼ)る源泉の、その蒸気の消え入るさま、湧き立つさま、たゆたうさま、仄(ほの)かでは無いはっきりとそれと判る空気の宣揚(せんよう)、傍らには蝋梅(ろうばい)の葉。一陣の風が舞ってその葉が微かに音を成す。意識がさらと吸い取られてしまいそうな感覚が起こって、しばしそこを動けなかった。
 詩人は暫(しばら)く、この土地を離れると伝言してきた。実父の死を受け、自分なりに想うことがあるから、と。つまり、いま、ここには居ないのだ。なのに、少女は再び、この寒村にそのか細き足で訪れていた。その衝動を少女は少女なりに考察、した。逢いたい、逢いたい、逢えないならばせめてそのひとが幼い頃から慣れ親しんできた土地の情景に浸ってみたい、慰撫していただろうか、或いは意味も無く呪ったろうか、この大地でそのひととおんなじ外気をその肌で直に触れてみたい、この衝動は、有るひとつの隠しようの無い観念を忽ち連想させて、少女は戸惑い、懸念、した、叶うわけが無い、なんて邪(よこしま)なこと?「私って馬鹿ね・・・馬鹿、みたいよね、有り得ない。」、けれど偽らざる詩人への覚醒、だったろう・・・・・・。
 少女の父は、父で無かった。少女の母は、母で無かった。叔父夫婦に育てられた少女は本当の父や母を知らなかった。痩せぎすで、けれどどこか爛漫で、だのにそうそう手のかからない、「良い子」だったのよと、在る時母だとばかり想っていたひとから、いや普通にそんなことを意識などしないひとから、そのようないつぞやかあった過去を告白、された。始めは冗談とばかり想っていた、天真な性格が、そう想わせた、のだ。だが本当らしいと悟った時の驚愕(きょうがく)。明日は明日の風が吹く、有名な言葉の旋律が一瞬間、何故だかその心根にさらさらと浮かんだが身体は正直でその後一定の間、塞(ふさ)ぎこんでしまった。五肢(し)がけだるかった。それが少女の偽らざる胸中。
 
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 少女は物心をついた頃から、詩情の世界に溶け込むことが好き、だった。あからさまに口について吐けない感情も、詩に重ねれば物憂さに付託して一時(いっとき)は消える。自身でも詩を編んだ。ゲーテには薔薇(ばら)の花弁を委ねられる想いがした。アポリネールには自然の風雅な森林を訪ねるかのような、安息観を。プーシキンには慈しみをヴェルレーヌには失望をマラルメには知を、そうしてランボーには砂塵の荒野をさ迷い歩く孤独な詩情の綾を教わった。石川啄木も宮沢賢治も室生犀星も萩原朔太郎も、きっときっと悲嘆の境地を詩に委ねているかのように、想えて、ひとり心、墜ちた。だが、最も少女が愛でた詩人とは少女と同じ言語で綾織る、この日本人の中原中也という夭折の詩人であった。気持ちが既に萎えているのである。だのに、懸命にその気持ちを奮い立たせようとするかのような、その詩の世界。寂しいような、辛いような、厳かさとその悲壮感、しんみりと哀感を摩(さす)るように、その世界は息づいている・・・。
 そんな在る日のことだった。その中也をいと惜しむかのような文章に出遭った。ふいに訪れた文(ふみ)の誘(いざな)い。渋谷(しぶたに)優治というその文筆家は、文芸雑誌に連綿と中也に対する幼き頃からの想いを綴っていた。なんと「そう、まで好き」なのであろう?、少女は「絶対的にどうして」そう、まで好きなの?と想わせるかのような、その激した中也への文章に、俄然、興味が膨らんだ。そうしてこの文筆家がまた詩人・美咲優治と同一人物である、らしいことも瞬く間に知り得て、興味が羨望に代わり少女に、様々な所作を要求、し始めた。学校の、市営の、図書館に駆けてみる。在(あ)った。美咲優治の著作が。紐解いた。読んでみた。何故だろう、少女はみるみる溢れてくる泪の雫に嗚咽、した。止まらない。何故、泣いてしまったのか?。この生を謳っているわけではない。死を真っ正直に向かい入れているわけでもない。そこに在(あ)るのは自身をけっして、いやこの人間なるものをけっして肯定せぬ文、文章、だが、全く否定しきれない、そのもがきみたいなものが執々(しつしつ)と綴られており少女の胸に、滲(し)みた。
 当初、その詩集に掲げられているその詩人の肖像写真を覗きこんで、そのあまりの幼顔に同世代かと早合点してしまったが、その写真は詩人の十七の時のものだと判り、更にその余りの中性的な顔立ちに少女は声を失った。少女の好む顔立ち、だったからだ。少女は、そんな自身では不遜だとさえ想える感慨に沈み込んで唯独り、詩人を空想した。この詩人は、このいまに生きている。それもその詩文から察するにいまだに、そう独りで生きている。どういう感覚で詩を編む、のだろう?その生い立ちは?その実際の呟きは、「私の想像の域、以上かしら?」。逢いたい、逢ってみたい。是非、逢わねば。希望は執着に変化(へんげ)して少女のそれからそれへの想像は留まることを知らなかった。図書館に据付のパソコンで検索してみた。無論、そこに現住所など明記、されてはいない。駄目もとでと出版社に問い合わせてみたが、相手はお茶を濁すばかりで教えてはくれなかった。その思春期特有の依怙地(いこじ)さ。周躁(しゅうそう)感。少女は生まれて初めて他者を愛したかのような感覚に陥り、こういうものなのかしら、などと戸惑いながらも自身に先を急げと告げていた。

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 運命(さだめ)とは浪漫的、なものか?、赤い糸の伝説であったり、主の配罪に拠る業のようなもの、宿命とも言うべき出遭い、別れ・・・だがひとは歳を重ねるごとに、このようないわば見えざる世界への連想、空想を次第に想わなくなる。厳しい現実に晒(さら)されて、自身の技量だとか天賦(てんぷ)の才の無さ、だとかそういった生き様にすぐさま投影するかのような事態に陥って挫けてしまうから。「僕は駄目だなあ」「私ってなあーんにも出来ない」自ら、その扉を固く閉ざしてしまうからますます、運命などという言葉は遠くへと置き去りにしてしまう。自分でこうだ、と決めた空間は、それ以上なんら帯びない空間、でしかない。

 少女は、どうであったろう。運命という想いを、その心に刻んでみた。逢いたいと願う詩人に出遭うことこそ、運命というものであったか、どうか。なんら変わり映えのしない学園生活。そこに、詩人という名の水滴をひょいと投げる。輪は少しずつだがゆっくりと波紋を拡げ、何らかの紋章を想起させようか、輪は三重となり、四重となり五重となり、やがて溢れ出る大河と成す、であろう?・・・・・一片の花はただ一片の花でしかない。だが、その一片の花にもめしべが有り、或いはおしべが有り、更にその中央には花芯(かしん)が有るのだ。少女は憂えた。その全身で憂えた。少女の花芯ともいうべき心臓部が、どくどくと流れゆく血の激流部が、高鳴れば高鳴るほど、少女はその詩人に出遭えることこそ、運命、そのものであると呼称するであろうか・・・。

 文の誘(いざな)いは再び、少女の胸に跪(ひざまづ)いた。女学校帰り、重い鞄を下ろすやいなやの出来事であった。ドアフォンが鳴って、同性らしき声が、した。「ごめんくださーい」公団の、五階の、狭く窮屈な出入り口に、ミラー越しに覗けば四、五十代、中年の女性がふたり、こちらを窺(うかが)っている。少女は鎖で繋がれた距離間分のドアー越しに、ある小雑誌を受け取ったまでである。「何か?」「あら、お嬢ちゃんね。パパとかママは居ないのかしら?」「いえ、まだ帰ってきていないんです」「そう?・・・じゃあ仕方無いわね。宜しかったら、こちらでもパパかママに渡してもらいたいの」「・・・判りました。」その出来事は至極、あっさり終わったのだ。受け取った小雑誌の表には『わかば』とあってその下には『〇〇会慈善事業評議会』との名称が記されている。「なあんだ」という顔になる少女。小さな溜息と共に何気無く、目録をペラペラ捲(めく)っていたが、そこに少女は、在(あ)る男の肖像写真を認めてはっと息を呑んだ。声を一瞬間、飲み込んだ。口のうらで聞こえない叫びを放った。詩人・美咲優治「誓いの言葉」。二度目の文の誘いは、そうして少女を再び野外へと駆けさせる装いを擁していたのであった。

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 ネットカヘェへと勢いこんで、立てた自転車が転ぶさま。苦笑いしてもう一度自転車を立てるさま。少女には予感があった。入るなりすぐさまネットへと繋(つな)ぐ。『〇〇慈善事業評議会』・・・そこに求める詩人は存していた。「〇〇県〇〇群〇〇村」在住。ペーストし、そのまま検索してみる。「〇〇村役場」連絡先電話番号・・・。メモ書きし、一旦外へとまた駆ける。ポケットをまさぐるその手には携帯電話。番号をひとつひとつ丁寧に押していくさま。もしやパソコン据付のダイヤルフォンでは人目を憚った?もしやネットカヘェ、ロビーの電話BOXではまだ少女の執着が躊躇(ためら)われた?。村役場の、気の善(よ)さを会話に漂わす青年が応対してくれた。「あー、はいはい、そうですか?直接ね。良(い)いんとちゃいます?・・・先生の電話番号は、と。・・・」少女は、この時の胸の高鳴りを運命(さだめ)と後日、空(くう)を心に感じつつ称した。振り返れば、そこから少女は詩人に連絡をし、約束を取り付けたのだが、自身なりに「どう、したものか」と想わんばかりのその取り乱しようはいささか短兵急(たんぺいきゅう)な気もしたのだろうけれど、「可笑(おか)しなことをした」という感覚は全く無く、そこがこの少女の微笑ましきところでもあった、ろう。「すみません。あの・・・あの・・・一度そちらにお邪魔してもよろしいでしょうか?」「いや構いませんよ。あなたのご都合のよろしいときに来られれば良い、でしょう。」詩人は、出遅れて留守電に変わった際の少女のなんとも可愛らしき話しぶりに、その真面目そうな語り口に、そうしてメッセージが終わらぬ内に途中で切れてしまったご愛嬌振りに、心持ちが和らぐ想いが起こり、翻ってつい電話に出なかった粗相(そそう)を鑑(かんが)みつつ、再びかかってきたその少女とおぼしき着信音に今度はしっかと受話器を上げたのだった。
 少女は、やがて詩人を前にした。じっと見つめてみた。スラックスにセーター。どこにでも居そうな佇まい。だがその顔だけは揺れている。少女がときめきを肌身離さず、携えている、からだ。詩人は少女に優しかった。だがそれも誰にでも備わっている気配?、否、少女は知っていたのである。その時、既に。何を?、詩人の胸中を。それは土足でずかずかと入り込んでゆける物?いやいや、詩人の綾織る詩文を詩人の過ぎ行くときをさも自身のときであるかのように愛でる真摯(しんし)なる慕情(ぼじょう)を。少女は求めた。詩人の哀感を、哀切を。慾(よく)した。見定めようと計った。それは少女が幼き頃から有していた観念、こころ持ち。少女は既にこの時、嗅(か)ぎわけていたのである。詩人の憂憤を。いつぞやか途切れてしまいそうな、震撼(しんかん)と漂わすその気配を。
 少女は、幼い頃から詩情の世界に溶け込むことを、さも自身の生業(なりわい)であるかのように好んで生きてきた。詩人は機知を持ってそのことを本能で感じとった、はずだ。彼は、慈善事業団体との関わり合いなどといった世情の煩瑣な細々を、少女とのひとときでは一辺たりとも語らなかった。詩人は少女を崇(あが)めた、のだ。自身よりも、その半分にも満たない年頃の少女を。知る人ぞ知る、高名な詩人が少女を崇めた、のだ。「少女は僕とおんなじ棲家(すみか)に潜(ひそ)む住人、だ。」詩人は、そう易々(やすやす)と語っている。

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 誉れ高き主よ、我の、この胸にとまれ。教会の最頂部に設けられている、その大鐘が勢いよく振幅を起(た)てれば一帯に響き渡る、それらはひとの悲しき性を癒す一定の韻律、になる。そこにパイプオルガンの伴奏と共に合唱隊の調べが重なり、辺りは啓蒙の民の敬虔なる祈りで満たされる。はずだ、はずだ、はずだ。はず、さ。
 詩人は、どこへ来たか。実父の死を受け、寒村にひとり取り残された詩人は、果たしてどういう想いでそこへ現れたのか。幾人かの編集人に、「想うことがあるから」と書き留めた詩文やれ詩評文やれ一纏(ひとまと)めにして、メールで送っておき、旅にさっさと出た。これまでも慈善団体やれ講演やれと父の介護が気忙(ぜわ)しく日帰りがほとんどの旅、みたいな寄る辺無き行脚は行っていたが、古里を離れ、既に八日、彼は、あの青春の蹉跌(さてつ)を噛み締めるかのように、その二十代、若き頃の馴染みの場所を訪れては想い、訪れては煩(わずら)い、感慨を繰り返していた。
 あれから、もう何年が経ったことか。青山の、鬱蒼(うっそう)とした森の、いや晴れやかな木漏れ日に照射する、きらきらと眩しい、伸びた枝葉がゆっくりとしなる、照り返しがその眼(まなこ)を抉(えぐ)る、側壁に無論、反照(はんしょう)している、それら太陽の微笑が、自然の万物が、健やかげに謳歌するかのような、そこへと翳した手のぬくもりが、肌のぬくもりが、あきらかにつるりとしており、まさに「初々しかった、のだ」と呟いた、あのうららかで、艶(つや)美しかれ初夏。それから、もう、十五年?、六年、十七、八年?、再び詩人はその礼拝堂のミサに、姿を現したのであった。詩人の最愛の異性、糸田怜子(いとだれいこ)はイエス・キリストにその想いを託す、信者であった。彼女はあの頃、揺れる心情のまま、けれど安息日には出来うる限り祈りを捧げにきた。小劇団の舞台女優。スポットライトを浴びた彼女は神々しく、いつしか引き込まれるように詩人も洗礼を享(う)けた。
 祈りとは懺悔(ざんげ)である。この汚らわしき欲望を満たす為に蔓延(はびこ)ってしまった、或いは生まれながらにして既にその欲望の種として、この世に生を受けた者、皆、その全ての穢(けが)れを、洗い流そうとする懸命なる儀式である。いやいや、それらを人間の本能と見据え、ひっくるめて許容する、大いなる魂を培おうとする、神聖なる儀式である。
 なのに、随分長い間、そこにひざまずかなかった詩人には、主のご宣託はあまりにも過酷であった?・・・・・・パイプオルガンの音(ね)と合唱隊の響音(きょうおん)。めまぐるしく交錯し、やがてその音は濁音となり、嬌声音となり、狂った死人が群れをなし叫び狂うかのような呻(うめ)きとなって、詩人の嚢中(のうちゅう)を掻(か)き乱した。あああ、やめてくれ、うるさい、割れそうだ、頭が・・・苦しい、いやだ、僕は死にたくない、僕は悪くない・・・僕は・・・僕は。
 詩人はそそとした静音(せいおん)の響きの最中、見上げた後ろ背に掲げられていたイエス・キリストの十字架に処せられた石像を後に、教会を出た。五十歩百歩と歩んでいく。ゆっくりゆっくり歩んでいく。往来に出た。そこで楽曲の舞いは潰(つい)えた。ひっきりなしの車の波。詩人の脇を通り過ぎる彼、彼女らはみんなげらげらと笑いあいながら、さも愉しげに自身の目的地に向かって闊歩(かっぽ)しているではないか。

 ・・・・・・ほんの一瞬、間だったね。僕も君らとおんなじ人間さ。

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 自死。一度目は服毒。二度目は静脈(じょうみゃく)断裂。未遂に終わった、だがかつての、詩人自らのこれら行為は主への冒涜、以外の何ものでもない。主は、自らの死をけっして自らに課してはいない、はずだ。奉仕の精神は生あるところにこそ輝きを生(う)む。死してはけっして煌(きらめ)いてはくれぬもの?、
 窮するとひとは澱む。留まる。動かなくなる。落ち込む。凹(へこ)む。詩人はそこから周囲の想いも及ばぬ行為にでて、その己自身を追い込んだに過ぎない。自業自得とは、必ず、そこに伏線が在する。詩人は他者に哂(わら)われて当然、だ。常人が思考すれば留まる言動をさもありなんと起こしたのだから、嘲笑われて当然、だ。馬鹿で間抜けな詩人さん。・・・だ、などと、詩人は何度、あの頃の我が身を省みて断罪、したことか。その想いの先が、自死的行為?、苦悩の心中で彼には、その生に対してそうすることでしかあがなう術を見いだせなかったというのだろうか。

 北陸路は、寒(かん)の霙(みぞれ)を呼んでいた。木(こ)の芽時(めどき)にも関わらず遠方では、あれは春雷(しゅんらい)という奴であろう、なにごとか雲の切れ間から稲妻らしきものが地上へと刺している。小さな箱の中。二両編成の、電車のガタガタと揺れる座席でまどろんでいた詩人は彼方にその閃光を見た。またたくまにまたよそよそと迫り来る過去の戦慄?、いや彼はそこにぽつねんと座っているだけではないか。
 更に電車は北へ北へと向かう。与えられた時間は、詩人の想うままに在(あ)り、その命を自身で縮めぬ限り、潤沢(じゅんたく)な、それは自在なる一里塚(いちりづか)、とも言えなくもない。求める場所は求める場所に在(あ)り、詩人が厭(あ)くことを知らなければきっと扉を開いて易々と泰然と迎えてくれることだろう。だが、その続きは誰にも解せない。
 これまでへの静々と想い起こされる情景。ひとはそれらを追憶の彼方という引き出しにしまいこみ、忘れた振りをしているに過ぎない。忘れた振りをしなければ生きていけない、から。まどろむ詩人の傍らをよちよち歩きの坊やが通り過ぎて行く。詩人は、ふとその子を目に掠(かす)めながらそんな彼方を遮断しようと再び躍起になる?、よせやい、潤沢な時間はさも潤沢に詩人のその懐にある、と言ってるじゃあないか。歩んでいるのさ。何処(どこ)へ?過去へ?未来へ?明日へ?。振り返るばかりが能、じゃあないよ。
 よちよち歩きの子の後に、十歳ぐらいの子、だろうか、お兄さん風の子が何事か発しながら駆けていく。いまだ続く春雷のせいで、そうしてその子のように駆け寄るが如く迫り来た春雷のせいで、箱の中にはその稲光しか差し込まぬのだけれど、それらがまた詩人のまどろみをこともあろうに易々(やすやす)と誘発して可笑しな心持ち、にはなる。外はきっと嵐、なのさ。だのに詩人はその外(ほか)に居る。まだ三十路を重ねぬであろう母がふたりの子を諭すかのように身振り手振りで言葉を尽くしている。稲光の中にその三様がシルエットと化す。詩人にはその母の問いかけは聞き取れない。「あの時も確か、どんよりとした雲の間に間から閃光がほとばしって随分心細い想いを抱いたっけ・・・」泣きついた母の懐でしくしくと嗚咽した自分。詩人はその陰影にあの頃を見た?、あの頃、あの時がふいにこの時、詩人の脳裏に蘇ってきて彼は深くけれど安らげにその瞼を閉じたのである。
 
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 やがて、雨を携えて覆い被さってくるであろう嵐。遠来にやや、と望むは閃光。そうだね、あの時も上空は迫り来る嵐を孕(はら)んでいたろうねえ。僕は何処までも地平の及ぶ限り続いているかのような野っ原の、いわば一迷い人、みたいなものだったろう。「随分、心細かった。僕はいまにも泣き出したいような気分に陥って・・・。随分、心細かったよ。随分、随分ね・・・・・・」 

 あれは一体、いつのこと、だったろうねえ。小学校の低学年、いや中学年、かなあ。まだ半ズボンでも穿(は)いていた頃のことさ。僕にもそんな、まあ、例えばほっぺたを真っ赤に染めている、みたいなさ、そういう時期もあったんだよ。あの頃、僕には同じクラスにね、かなり好きな子がいてね、その彼女の誕生日、そうだな、きっと何日も前から、学校の帰り道に寄り道してね、その女の子の為に、野っ原を探し回っていたんだよ。うん、約束したんだよね。その女の子の誕生日に、「きっと持っていればそれだけで幸せになるという四葉のクローバー」をあげると約束したんだよね。まあ、迷信さ。けれどあの時、僕は懸命でね、どうにかして四葉のクローバー、その贈り物を手中にしたくてね、うん、野や山をほんとに這いずり回ったね。だけどどうしても四葉のクローバーは見つからないんだ。クローバーの一群はそこかしこにあるっていうのにさ、だのにどうしても四葉のクローバー、だけが見つからない。子供の頃だからね、その内、泣きたくなってくるんだよ。どうしてもどう足掻(あが)いても、ハハハッ、欲しいものが得られないものだから。日暮れてくるだろう?、確か、雷か何かごろごろ音を発(た)てててねえ、終いには見つけられない自分が情けなくなってきて、どう、そういう心待ち、気持ちだねえ、自分でもどうしたらいいのか、口惜しいっていうかさ、やりきれなかったよね。「僕は彼女に約束したじゃあないか」そういう気持ちに陥ってしまってねえ、仕方なかった。ほんと、もういろんな場所を何日も何日も探し回ったんだよ。だけど得られなかったよね。
 そうして、その子の誕生日。僕は「御免ね」と言って、仕様が無い、素直に謝ったんだよ。御免ね。見つけられなかったよって。けど彼女は辛辣(しんらつ)だったなあ。うん、その子にそう、告げると彼女は、物凄い剣幕で怒り出してね、ひどく詰(なじ)られた。「約束したじゃない。四葉のクローバーをあげるって」「約束したのにひどいじゃない。嘘吐き!!ッ。」僕は俯いたっきり、なんの反論もしなかった。まあ、言い訳をしたく無かったというのかな、実際、いまだに想い出すのは、その時、詰られた時の心持ち、だね。。いまだにそういうことはしっかり覚えている、ものさ。「・・・見つけられなかった僕が悪い。約束を破った僕が悪い。嘘吐きと言われても仕方が無い。約束をしたのも約束を破ったのも、この僕だ。だからこの僕こそが悪い。」しょげたよ。大袈裟じゃなく、この身の終わり、みたいな気になったよ。泣きべそをかいて家(うち)へとぼとぼと帰っていったらさあ、あの時、その道すがら、僕は母さんに逢ったんだよ。まあ、大抵、母親なんて者はそんな優しい部分が有るのかもしれないけれどね、母さんは事情を、うん、上手くそっと僕から聞きだしてね、慰めてくれたよ・・・。「あんたは精一杯のことをしたんよ。そういう気持ちは大事にせな、あかんよ。いつかきっと判ってくれる。あんたはほんにいい子、や。」ハハハハッ。まるで気持ち悪い。マザコンだな。頭を撫でられる。頬をぎゅっと両手で摘(つ)ままれたり摩(さす)られたりとかさ。
 
 それでも、僕はその後(あと)も探し回った記憶が在る。挙句、見つけられたと言う想い出が浮かばない。きっと長い間、それからその子に口を聞いてもらえなかったんだよねえ。「あの頃、僕は想ったものさ。見つけられなかった僕が一番いけなかったんだって。」

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 原色の町が在る。それは生まれた居所(いどころ)か。灰色の空が在る。それは這(は)いつくばって己の希(ねが)いを乞う場所か。十八に成る。原色の町を出た。遅生まれの詩人、ゆえに生まれたその日には、上京して既に東京に存した。卒業証書を受け取るや否や、詩人は餌をついばむ鳥が周囲の嬌声に驚いて飛び立つように、親の庇護から一時(いっとき)でも早く逃れたい、などといっぱしの想いに募らされてその町から出(い)でた。文京区は本郷、その三丁目、そこから程なく歩んだ先には、当時後楽園球場、夜ともなればその騒然とした気配、漂う町に彼は新たなる住処(すみか)を見い出した。いまから、あれは一体、幾年、回想の頃だろう。二十年、いや二十一年か。白山道りを駆けた。登った。息、切れた。時にはたすき掛け、時には自転車、当事ですらバイクが主流の配達にも関わらず所長の「自転車の方が経済的で良い」という、ただただ余りに全うな、ただただ余りに無碍(むげ)な理由で走らされた、駆け上がらされた、左へ右へ上へと下へと、階段の無い公団住宅は骨が折れるよ、まして「他社(ほか)よりサービスとして当販売店は、ドアポケットまでお運びしますから。他社は一回の集合ポストに入れて行くだけでしょう?」などといった配る身を顧みない勧誘などするものだから、彼らは、最上階まで駆けねばならない。新聞奨学生。砕け散る?何が?・・・。十七で詩を編んだ。発表した。激評、詩賞授与。一気に名が興(た)った。だが売れない。喰えない。なら、もっと自分を高めたい。よしんば上級学府へ。詩人はその年頃、渾身、勉学に勤しんだ。朗報が入った。あの町へ。その大学へ。だが、もうもう親の慰みは欲しくない。詩人にもそんな勘考に耽る、お年頃という何処吹く風の時代があった。
 だがだが、想うは易し。講義を受けつつ惰眠に陥って、また新聞を明くる日も明くる日も配る、走り込む日々は詩人が考えていた以上にその肉体を精神をくたくたにさせた。
 上京し、二ヶ月もせぬ内に、まずは一度目の入院、二度目、三度目、新聞店の所長も辛抱強く、詩人を扱った。他にひとが居ない?・・・それでも半年が過ぎる。過労入院の延べ日数が入院する度に短く、なる。詩人はあまちゃんだ。だのにそれこそ歯を食いしばってその己自身で望んだ生活にしがみついていった。雨にも負けず風にも負けず・・・賢治詠うところのまた雨の日も風の日も雨合羽を着て、濡れぬようビニール用紙に包めてある新聞の一片(いちへん)を小脇に抱え、階段を駆ける。「そうさ、これもよく夢にいまだに見る情景。」・・・小雨か?。螺旋の階段をぐるぐる駆け上る。眩暈が起こる。ドアポケットに新聞を入れ込む。外は真っ暗。お月様はその貌(かお)を今ではとんと忘れてしまったね。ああ、眩暈がする。足元がふらつく。「嗚呼嗚呼、厭(いや)だ、厭だ、全くこうも動悸が高鳴っては成人も知らぬ間に己はこの世の藻屑(もくず)となるのか」嗚呼、草稿用紙に向かって何も言葉が出ぬ時と同(おんな)じ感覚、だ。新聞を入れたと、ほぼ同時に中で引き抜く音がする。「そういう手合いほど、いつも遅い遅いと苦情を繰り陳(の)べる馬鹿野郎で、そういう奴に限って集金の時期は大抵、居留守を使いやがる。」詩人の同居人の、寄宿生の一群から憤懣が聞こえてきたりもそりゃあ、するさ。詩人は特別に寡黙(かもく)な方では無かった。気がそそられると至って饒舌なときもあった。だが、大抵はただ黙って走り込んでいた、あの当事。そんな詩人のこの頃にその生涯、いやきっとその死するその時まで忘れることは無いであろう、相思の友人が現れた。その新聞店の同居人、寄宿生であり小説家志望の文学青年、詩人と同年齢、北国の、真冬ともなれば深雪(みゆき)の出身、その名を高坂宗一(こうさかそういち)と言った。

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 高坂は、その少年時、両親の離婚を経て父を選び上京してきた。その多くの青年、少女達がそう、であるように高坂もまた、その多くを語ろうとはしなかった。我私(がし)が強く、自尊心が凄まじい。けれどその鋭い眼光とは裏腹に笑うと相好、崩れ、愛嬌が見て取れ、そこが彼の好まざる異性との出遭いを呼びこむものらしく、高坂はいつしか心、砕く相手としか笑顔を見せぬようになっていた。例えば彼の文学に対する一言(いちげん)はどこか無碍・強弁・一刀両断を帯びていて、「世の中を巻き込んでいくような、或る導きを帯びた小説を編まなければ駄目だね。」「理想じゃあ無い。この数年で良いものを編めなければ、俺は俺のこれまでを全否定することになる。」「日本の文学は川端康成の自殺によって終わったね。暴論、じゃあない。その後(あと)のものは、ただたんに事象を並べているに過ぎないよ。」「文学に理屈は必要、だ。理論と置き換えてもいい。ひとつの或いは幾つかの理屈をもって小説は編む、ものさ。じゃないとただの物語になる。」あまりにも窮屈で、その言葉尻にはその生に対する、何か醜悪心みたいなものが息づいており、生き急ぐ文学青年にありがちな物言いを時に覗(のぞ)かせていた。毎朝、毎夕、チラシを織り込み、新聞を束ね、自転車の荷台に乗せあの路この路と駆けて行く。この繰り返しの合間に小説を書くという所作が待つ。大学にも向かわなければならない。「どこかそういう己の境遇に何がしかの気概を吹き込まなければ、ちゃんちゃら馬鹿らしくってやってられないだろう?。」だのに高阪は、どこか周囲が驚くほどの義侠心を秘めた男で、詩人が病(やまい)に臥(ふ)せり入院加療中の折りにはその都度、自身から発して詩人の受け持ち区域まで新聞を配ってくれたりもした。「しようがないよ。そういうときはお互い様さ。」そのような佇まいが、一年次から他者を圧していた、と言うべきか、瞬(またた)く間に上級生らからも一目置かれる存在となっていった。
 或る日のこと、高坂は一冊の詩集をその傍らに携えてにやにやと悪戯(いたずら)っ子がいまにもその獲物を捕らえようかとするかのような微笑を湛えながら、詩人の部屋に入ってきた。詩人はその時その部屋を、まるでその物体ひとつっきりで凌駕してしまいかねないようなベッドの上で身体を横たえ気休めしており、高坂のなんとも測りかねるその微笑につい、釣られ笑いさえ起してしまった。「渋谷(しぶたに)。俺はおまえを見下げていたようだな。」高坂は、そう言ってゆっくりと一冊の書物を詩人の前に差し出した。その表紙には『美咲優治第一詩集』と在る。「今日、大学の図書館でこの本が俺を導いた。偶然とはあまりに言い難い。目に見えざる者がこの俺にこの本を読め、と呟いてきたんだよ。俺が図書館に入ると、この本の背表紙がきらきら眩(まばゆ)いくらいに光って見えた。読めば解る、開けば啓示がある、と言わんばかりにな。俺は取り出した。この詩集を。美咲優治第一詩集。中を開いて驚いた。俺は俺の間近(まじか)で知る男の顔をそこに見た。」高坂は、そんな寓話的な言い回しを演者たっぷりに一字一句、斬るように呟き、煙(けむ)に巻いた。「この半年、出遭ってからおまえ、ちっともこういうことを言わねえもんだから、参ったよ。この俺がおまえに息巻いた文学理論みたいなものは、まあ実は釈迦に説法、みたいなものだったんだろうな」「いや・・・そんなことはないよ。君には凄く教えられるものがあるよ。」「本当、かよ?、よく言うぜ。」「いや、本当さ。」

 ここにも、またひとり。人間・渋谷優治がその十代で自身に目覚め、抉(えぐ)り、掘り起こそうと躍起になった、それは十代ながらも自身をしっかと活写しようと努めた、ものの成果。美咲優治という詩人に成り代わってからのその、詩の羅列に触れた、者。詩はひととひとを断絶させるものではなく、繋(つな)ぐもの。それらに触れた市井(しせい)の人々達。

 「十七で、詩人としてデビュー。そうか、おまえは既に名の在る花だったのか・・・。」高坂は詩人が受け取った詩集を、まるで眩しいものでも見るかのような顔つきになって、さもさも感慨深そうにそう、告げた。「いや・・・名の在る花と言ってもたいしたものは書けちゃいないから。」「すかしてらあ」見上げてすぐ俯きがちに、呟いた詩人に梶はすかさず、そう返した。更に我関せずという風で「・・・面白くなってきた。こんな近くに名の在る花、がよ。この俺も負けちゃあいらねないね。おい、渋谷、こんな俺だがよ、今後もどうぞ、宜しくな。」高坂は屈託の無い笑いを見せながら、そう言って片方の手を詩人の前へ差し出した。「いや、こちらこそ・・・」詩人の手をしっかと握り返した高坂。(暖かい手、だな。)後々までも想い出すことになる、心地良い、その時の陰影。だが、高坂の、その世情を見やる己を見やる醜悪感が高阪本人に焦りと倦怠を募らせ、そのことが原因となってよもや、あの事件を産もうとは、この時のふたりには察せられざることではあっただろう。



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Appendix

Literature sight-seeing『風、早暁記。』

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introduction

風友仁(かぜともひと)

Author:風友仁(かぜともひと)
 
 沖に出たらば暗いでせう、
 櫂から滴垂る水の音は
 昵懇しいものに聞こえませう、
 ――あなたの言葉の杜切れ間を。

 月は聴き耳立てるでせう、
 すこしは降りても来るでせう、
 われら接唇する時に
 月は頭上にあるでせう。

 あなたはなほも、語るでせう、
 よしないことや拗言や、
 洩らさず私は聴くでせう、
 ――けれど漕ぐ手はやめないで。
   中原中也『湖上』拠り 
*『爛熟』この書を我が畏敬のひとり、中原中也の御霊に捧ぐ。


*an information desk *
皆々様の厚きご支持、心より傷み入ります。有難うございます。

*新たなる風の舞、ここに興つ。*
*謹告*当オンライン小説サイトでは、大変申し訳ございませぬが一切のコメント・トラックバック等は諸事情に拠り、お断りさせてもらっております。どうぞご了承くださいませ。*尚、この小説に関する全ての帰属権並びに著作権は筆者、風友仁にございます。個人で愉しむ以外のコピー、それらを商用の配布等に用いたりする行為は法律で禁じられておりますので是非、お止めくださいませ。現在公開中のものにつきましては、何の予告もなく、加筆、訂正、語彙、言い回しの変更、削除等行われる場合がございますが、それらについての更新情報等は行っておりませんのであらかじめご了承下さいませ。
*今後とも『爛熟』並びに風友仁の綾織る世界観にどうぞご支持、ご声援のほどを、宜しくお願い致します。
 
  2006・1・15 心を込めて。
         風友仁

*連載小説『爛熟』に就きまして*
 この物語は、空想の物語であり、一部事実を基に脚色なされておりますが、登場する人物及び団体の名称等、ある特定の人物及び団体等を示唆、揶揄、誹謗、中傷する類いのものではありません。飽くまでも架空の物語としてお読みくださいませ。またもしや名称、団体名等が同じでも飽くまでも架空の物語でありますのでその点、どうぞお知りおき下さいませ。皆様のご理解の程、何卒宜しくお願い致します。著者・風友仁


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