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連載小説『爛熟』45

 一詩人は、その異性とふたりっきりになる。そこは寺島も高坂も入り込めない、このふたりだけの真実(ま)空間に過ぎない、過ぎないが閉ざされた一個の詩人と女優だけの世界、ただこの世の艶(つや)在る闇、だ。だが、このときばかりは、その艶がいつもとは違い、ささくれだっていた?詩人はけっして他者を否定、しない。だのに、あのときの詩人は紛れも無く、苛立っており、自分をお座成りにしていた。彼女が、彼を糾弾しよう、そぶりを見せたから。いいや、糾弾とは大袈裟(げさ)な物言い?愚痴っただけさ。
 
 「なんで、あんなことを書かせたの?」
 「いや・・・、書かせる、なんて
  ・・・僕は、知らなかったんだよ。本当に。」
 「本当・・・?ごめん。こんな言い方ってないのかも」
 「いや、いいんだよ。僕の方こそ、君にとても迷惑をかけてしまった。高坂も・・・どうかしている」
 「・・・どうしたらいいんだろう?
  素直に演じてしまうしかないのかしら?」

 詩人の伏目がちな佇まいに、女優の想いが濡れ重なる。
 彼女は、泣いていた。一滴もその頬を伝わらぬが、ちらと一瞥した詩人にはそうとしか、感じられなかった。

 言葉が鈍く霞(かす)んだ。詩人には、その事態を収束させるには荷が重すぎた。声にすらならない。搾り出すように、それでも彼は、さも己に言い聞かせるように、こう呟いた。
 「・・・君は、それでいいのかな!?」
 弱い、若くして世情に出た詩人の危うさ、脆さがいっぺんに這い出した。詩人はこのとき、自身の両の膝を支えている上半身が明らかに他者のそれであるかのような身のけだるさを必死に耐え忍ぼうと努めていた。まだまだこの後に起こる出来事の、それはただ刃(やいば)にさえ過ぎぬのに。

連載小説『爛熟』44

 その部屋には、詩人は存しない。ギター弾きと小説家が語り合う。
 「おまえ、なんであんなもの、書いたんだ!?」
 「・・・何故、でしょうね?俺にも判らないですよ。」
 「ちったあ、奴の気持ち、いや、お前が判らねえはずはねえんだろうけどな・・・ちょっと逸ったんじゃああるまい?」
 「・・・・・・」
 「あいつにしては珍しくおまえのことを詰ってたぞ」
 「・・・・・・」
 「知らねえぞ。ああいうことは、案外、火種に、いや、十二分に火種に成りうるぜ。」
 「・・・どのみち、却下でしょうから。ああいう類のものは、まあ言わば、ひとつの鞘(さや)に収まるというか、案外、他者が想うほど大きくはなりませんよ。」
 「よく言うぜ。おまえ、やっぱ、どうかしてるわ。おかしいぜ。なんでそう、断言出来る!?馬っ鹿だよ、てめえは。・・・事態を甘く見てる。言っとく。いまにてめえの言う事態は、まさに火の粉とも言うべき凄まじい狼火となって、てめえを包み込む。俺は知らねえよ。」
 「またぁ、そんな脅すようなことを、言わないでくださいよ。」
 それは、ギター弾き特有の予言・・・予言じみた不遜な言い草。
 「てめえは逸ってる。俺にはよく判る。てめえの書く世界が、この世に蠢く輩(やから)共にはうまく伝わらねえ。だから、てめえは逸った。まずは世間に届かせようと躍起になること自体が、そもそもの間違いなのよ。俺なんかは、ずっと先(せん)、そんなものは捨てちまった。俺は市井のギター弾き、よ。だから、なんなんだよ。それ以下でも以上でもねえ。ただ唄うだけ。ただ唄いたいことを唄う、喚(わめ)くだけ。誰の評価も糞(くそ)も要らねえ。俺は俺、ひとはひと。他人の言うことは戯言(たわごと)。俺の言うことは、迷い言(ごと)。ワハッハッハッ」
 欄干(らんかん)で、ぽろんぽろんと爪弾く。濁声(だみごえ)とアコースティックギターの音色、のみ。沁みこむものはつまり、この世情の呻き声、のみ。
 小説家は、ほっと溜息を漏らす。
 詩人は、そこに居ない。
 或る、遠い遠い、ずっとかなたの日に呟きあった、ふたりだけの交(かよ)い言(ごと)。

連載小説『爛熟』43

 高坂はあの時分、よく自身の机に肘をつき、難しい顔を呈して、空想の只中に浮遊していた。浮遊といえば、そら優しいが、窓辺を横切る雲の切れ切れを寝そべってただ、追いつ追われつし、想いたった一文をノートに書き込むかのようなスタイルの僕とは違って、彼はさもがんじがらめに自身の身体を、机に拘束させ、机に縛り付け、机に引き篭もって文章を編まねば気が済まないような様子が伺える性質であった。
 そんな高坂が、何か一心不乱に書きはじめだした。僕らはルールみたいなものを決め、パートナーがそのような時は、けっして声をかけまいとお互いに了解、していた。そんな高坂が澱みだす。筆が止まっている。頭を抱えている。ちらと、僕を見る。俯く。あの時、あの近い未来に起こった出来事を僕がもしも予見出来ていたら?いや、或いは高坂自身がその筆を折るという行為を行っていたとしたら?

 奴が寺島が資金面一切を引き受ける、小劇団の首座から、こともあろうに、高坂に戯曲依頼が来た。高坂と首座は酒を時に酌み交わす、話しの通る人物で、至って落ち着いた風の初老近い男だったが、この首座の前で高坂は普段、劇団の在り様や、奴、寺島自身の剣呑ぶりを非難していたにも関わらず、彼、高坂に「何か、ひとつ、良いものを」と作品依頼を促した。高坂はふと思案し、我の胸に手を当てて、「書きたいテーマが今は想い付かないので」と一度はやんわり拒否したそうだけれど、そこをまげて、となだめられたらしく、否定のあと、その願いを「ならば」と聞き入れた。やはり、首座の言う、依頼の割にはためらいがちの「・・・寺島さんのお願いでもあるんだよ」と言うひとことが強く彼の脳裏に引っかかったらしい。それら、事の成り行きも、事態が収束したのちに知った事実だろうけれど、自身を普段、非難する者に自身が束ねている想いのままの劇団、その戯曲依頼をする辺り、寺島らしいとは想えなくも無い。
 高坂の背後には、確かにあの頃、既に僕が蠢(うごめ)いていた筈で、それはその当時、劇団内では僕と彼女との関係はもっぱらの噂になっていたことだし、まさに奴、寺島は高坂の力量を試すかのようにして間接的に、この僕に挑んできた・・・?いや、そのようなことを、寺島ははっきりと、あの時、僕に断言したほどだから、その了見は十二分に奴の腹中の鞘(さや)でもあったのだ。
 寺島は、恒に、その懐にえさを持っている。そのえさは彼女にとってのささやかな夢を培う為にぜひとも必要なえさ、だ。そのことを楯(たて)に奴は、彼女に執拗に交際を迫る。そこに、奴の概念のうち、全く違う詩人という代物が現れる。次第に彼女は、詩人の世界に身を焦がすようになる。寺島は窮、する。そうして追い込まれた寺島が起こした行動とは?なんとも頑是無い。ありきたりの物語?いまにして想い起こす度に陳腐な終焉?

 高坂は、一切のひととしての観念を、寺島のその精神に挑み返すかのような戯曲を用意、した。それが「若さ」という、人生その途上、熱病に冒された者だけが起こす発熱から来るものであったろうか?それが脆弱なる者としての可愛げの全く無い邪気有る魂の成せる業という、代償物であったと言えるのかどうか?。

 高坂は、ものした。己の机に突っ伏して、その舞台で叫び狂う、或る戯曲を書き連ねた。連綿とさも、この世紀にそぐわない、あの恋情の言葉の数々を!!あまりに古臭い前近代的な物語を!!
 高坂が、僕に黙し、書き連ねたもの。それはギリシャ神話にヒントを得た、叶わぬ恋を憂えた、ひとりの戦士が、果ては物書きのひとりの男が、己の身に、その恋人の前で「未来永劫の愛」を証明する為に、剣(つるぎ)を突き刺す物語・・・。

 高坂は、夜半、その物語を書き綴りながら、僕の寝姿をじっと見やりつつ、「この男なら本当に、それが出来るかもしれない」などと一瞬間であろうとも、戦慄をふと覚えつつも、さもさも感じたものだと、のち、語ってはいた。嗚呼、それは幻さ、ひとの作り上げたまさに幻想というものさ、と何故、見えざる主は呟いてはくれなかったのだろうか。(・・・あきらかに可笑しいよ。)ほんの一言で良かった。主は、僕に毒々しい、さめざめしい、場当たり的な気休めを。
 
 主は、僕に何を望んだ?

 今でもあの、高坂をけれど憎めない。高坂は、文(ふみ)に宿る高邁(こうまい)なる精神を高らかに詠いあげた。僕も高坂と同じ、住民だ。詩人はやがて、この手で、ならば演じてみせようと、その物語を遂行したに過ぎなかった筈だ。

連載小説『爛熟』42

 彼らはきっと僕が詩を編む、という概念のほかに居る、僕の詩を愛でるという、観念のきっとその惑いのほかに在る・・・寺島は、当時既に大家として世に名を轟かせていた洋画家を母に持つ、その子息で身のこなし、佇まい、その会話の節々に到るまで何よりも鼻持ちならず、一見して僕に生理的とも言えよう嫌悪感を漂わす男だった。生まれも素性も違う。さも当たり前過ぎる、この当然の隔たり。既に始まりからして、そう、だったのだ。僕とは相容れない宿業を背負った男だった、ということなのだろう。だが首座を始め、皆、安穏とは付き合えない立場の男、だったらしく、それは当座の劇団、その運営資金が彼の懐具合でなんとでも切り盛りされていたという事実からして・・・。「よくあることさ」と、のちに知る事実ではあろうに、ああ、そういうことは、あまたある、誰ひとり把握しかねるほどの無数の小劇団乱立の時代にあっては、生き延びていく為には甘んじて受けねばならぬ、いわば「所作」なのだといまさらなら、平気で受け流していたことだろうに、やはり当時の僕には何かしらどす黒い裏事情が感じられて、聞き及んで、やはりいい気持ちではいられなかった覚えがある。世情の「当たり前さ」と、自身の「当たり前さ」との、このどうしようもない、隔絶感・・・。皆、誰ひとり、彼の一言(いちげん)に逆らえない風で、のちに僕は「ああ、なるほど」と高坂との語らいでそのような振る舞いがどこから生まれ、どこから来ているのか、思い当たるわけだけれど、普段、安穏とさも傍目からは見えたろう僕が何故に、あんなにもこの神経を逆なでしてしまうほど、彼に苛立ちを覚えてしまったのか?。ただたんに、生理的な感覚?感性の相違?執着する物事の脅威としか答えられぬ遠過ぎる距離感?言葉は時としてひとを排他、する。ごまかさず・・・

 ・・・そう、答えはひとつしかなかったのだ。僕は彼女を愛し始めていた。そうしてその狭間に彼がいた。玲子との障壁として寺島が存した?僕がその後、僕が望まない僕の出現?を演じてしまったのか、どうか?
 僕は奴と対面して、すぐに「この男だけには屈服してはならぬ」何かを嗅ぎ取っていたはずだ。当時、僕には異性を前にして、飾るものは何も無かったと、胸を張れる。精神的にはさも虚弱であったろうけれど、僕の内面はさやかにさもさやかに晴れていた、筈だ。奴は、そういう飾りをふんだんに己の身にまとった男だった。僕は奴、彼と対峙、した。その輪の中に、高坂が己のものした、在る戯曲を投げ込んだ、事態はそこから急変を遂げていく。

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連載小説『爛熟』第四章34~41

  『爛熟』第四章 風友仁
『a mature 』/爛熟<RANJYUKU>・part4 an author;Tomohito Kaze

  34
   糸田玲子様
 ごめんなさい。貴女に僕は僕のこの想いをどうしても吐露しなければ、気が済まなくなってしまった。このままでは少し僕は苦しい。ぶしつけに、このようなお手紙をお送りする非礼をどうか、許してほしいのです。貴女は多分、驚くことでしょうね。或いは、そうと察していてくれたこと、なのかもしれませんね・・・・・・。ただ、これから綴る僕の想いは、けっしてよこしまなものなどではなく、僕の正直な貴女への想いであるということ。僕なりに僕の言葉で、はっきりとこの想いを書き記せたらと想っています。感情が先に立ち、殴り書いているように感じられたなら、どうか許してください、ごめんなさいね。本当に、突然、このようなお手紙をお渡ししてごめんなさいね。僕はこれでも努めて深く僕のことを顧みようとしているのですけれど、果たして上手く、この想いを伝えられるだろうか、とても不安なのです。やっぱり貴女にはきちんとこの心からの想いをそれこそきちんと伝えたいもの。僕なりの真心です。
 僕は、貴女が好きです。誰よりも深く愛してしまった。その気持ち

向日葵、無残。

 まだ、その花が咲き誇るには早過ぎた。
 八分咲きにもほど遠い。
 つぼみのままで流れてしまった・・・。

 長雨と雷雲が重なり合って、九州地方は未曾有の惨事を舐めた。ありもしない地平に湖は生まれ、濁流となって人々を飲み込んでゆく。
 窓辺越しの、向日葵の幹。それはお隣のものであったが、折りからの豪雨を受け、左へ右へとしなっていた。いまにもぷつりと折れそうに感じられ、そんな、その日の土曜日のこと、僕は自室でひとり、そんなこんなを本当のところは憂うこともせず、彼女ばかりを想っていた。
 彼女には子もあった。別れたばかりの彼女とその子供たちの安否を気遣うメール、僕はそれを彼女に送ろうかどうか、思案していたのだ。躊躇、する。いや、安否というよりも激励?・・・いや、この言葉もおかしい・・・編み、送信するばかりの段になって、僕はことをやめた。

  「返信は要らないよ。
  ひどい雨だね。子供たちもきっと今度ばかりは、
  脅えていることだろうね?
  君たちのことが心配だけれど、
  僕が君たちのところへゆくことは、
  大きなお世話だろうから、よすよ。
  明日には、雨もあがると言う。
  きっと、この一晩のことだろう。
  君も、ちょっと心細いだろうけれど、
  子供たちを守ってほしい。
  僕は、心から君たちのことを祈ってるよ。」

 そう、打ち込んで結局、送信しなかった。
 雨は、翌朝には小康状態となり、僕は同じ街に住む姉貴たちのことも気になって、車で駆けてみると、道ゆく道は無く、しかたないとばかりに歩んで行くことにした。ゆかるんだ家財道具が、庭一面を覆いつくしている、家屋。畳みらしきと想われるへの字に折れ曲がった、それら惨状。あそこの家も傾いている。泥土がへばりつく、いずこは白壁だったろう場所。壊れかけたドアー。濁流で、きっと跡形も無い畜産倉庫。TVだろ、冷蔵庫だろ、洗濯機に、洗面台、タンスだろ、CDプレーヤー、パソコン、家具調こたつに、掃除機だろ?、もう、どれもこれもが砂塵の荒野を踏みしだくかのように、僕のこころに自然の脅威の怖ろしさを代弁しているかのように、厭がうえにもはかなさを投げかけてくる。
 皆、押し黙り、暗い顔のまま、泥土をはらっていた。
 が、そのときだった。僕は、判然とある想いを抱き、すぐさま飲み込んだのだ。
 僕にはやっぱり、いまだに見えていない。
 まさに被災地の、今にも流されゆく人々の声無き声を、昨夜、僕は聞いたか?
 聞こえはしない。僕が考え付いたのは、彼女のことと子供たちのことばかり。
 これが、彼女が嫌った僕の欺瞞だったろうか?偽善だったろうか?
 これが僕の歪んだ情念、想念・・・信念、愛情?。
 それが君が遂に信じきれなかった、僕の気遣い、というものだろうね?
 天井にまで被った土砂を振り落としてみたり、地軸の動いた木造車庫をようやく、その体裁にもどしたりと、僕はその日の半日を姉貴のうちで過ごし、くたびれた足で自宅へと帰ってきた。そこには、いまでもひとりである。どっと疲れがでて、また降り出した雨を見つめつつ、僕は寝た。夜半に目が覚めた。見やると、窓辺越しに、あの向日葵がくず折れていた。茎だけのありようが、雨にそぼふる街灯に映えている。

連載小説『爛熟』41

 あの時のことを僕は、ここに白状せねばならない。 
 突き動かしているもの・・・、その観念をもう、見えざる何者かの所作だなどと自身を戒めるのは止しにしたい。明らかにあの時、この僕には、彼が、奴が、邪魔で仕方なかったのだ。この視界から本気で消えてほしいとさえ、僕は念じ通した。愛するものへの横道を脇目も振らず、ただ歩んでいく。そんな悠長な心持ちであった、ろうなどととても思えやしない。だから、「邪魔者を、この地上から永遠に遠ざける為」だけに僕は、彼を刺したのだった。
 皆、若さゆえに窮屈であまりにも稀有で壮大な、それでもそのものにとってはあまりに無垢な理想業を唱えるあまり、信じ、しがみつき、その一点だけに固執し疲れ果てていた。
 それは、
 喩えれば高坂、彼の精神は文学世界に浮遊し、撥ね返され、何故、あんなにもものを書くという行為に耽溺していたのか?、もしも在る絶大なる、世情に影響を与える叡智を抱いた一個の批評家がよしんば彼の書いたものを絶賛していたならば、高坂、彼の精神は満たされたのだろうか、
 僕と高坂は下北沢はアパートの一室にあって共に寝食を得る境遇ではあったが、その横顔にはやはり二十代前半の若者にはそぐわない倦怠と痛恨が入り混じったかのような趣きが見え隠れしており、だからこそ無碍に言葉をかけ辛く、「どうしてそんなにまで・・・」と想うこともしばしば、だった。僕と言う、多分に何かの拍子で、とんと押されて世に出でた詩人が直ぐ傍らに居た、為だろうか・・・、否、否、否、そう、自身を戒めたとしてもその後のあの刹那は忌々しいだけだろう、自身を買いかぶる気、などそうそう、毛頭無い。高坂はただ、その己の境遇に焦れていた?あの頃の高坂は、やはり僕と言う擬態を通すことなく焦れていた?、だからあのような物語を書かずにはをれなかった?。一体、それは何故だろう?。いまの僕がそのことだけに執着したならば、あの頃の高坂、彼はあの事件に繋がる道化師に過ぎない、それはきっときっと違う妄執だ。
 喩えれば彼女、糸田玲子。僕が彼女に始めて出逢ったのは、その高坂の演劇好きに拠る運命(さだめ)であったろうかと想うことこそ、哀れなるものか。「面白い劇団がある。」彼に誘われて見た舞台の最終日、既にその劇団の首座と懇意であった高坂は、僕を打ち上げの席までいざなってきた。そこで初めて僕は彼女を見知ったのだ。既にこの時、彼女には黒い影が忍んでいた?、はははっ、嗤(わら)わせる。吹けばそれこそ跳ね飛んでしまいかねない小さな劇団にあって末席に陣取る彼女ではあったが、その美しさは分けても他を圧していた。彼女に見苦しいほどに言い募る男共の媚態。劇団のファンと評する、初めて集(つど)った僕にさえ、そうと見透かされてしまった、まるで上滑りなおべっかの数々。劇団員達は、それを諌(いさ)めない。いや、じっと何事か耐え続け、愛想笑いで応じている。それこそ疲れ果てる病(やまい)だ。
 その輪の中に、一際、洒落者を気取ったかのような大きな襟首を立てた、胸元に派手な刺繍をあしらったシャツを着た、そう、寺島、寺島亮治、奴が居た。

 僕は奴との一期一期を、よもや忘れはしまい。僕は、この奴を殺した。そのとき、僕はそれが「さも、当然のことなのだ」と自身で自身を必死で言い包(くる)めてもいた。どこまでも弱い、己。あの時、ごくりと喉に走った。ツバを飲み込んで、僕はひどい圧迫感を覚えてくず折れた。

連載小説『爛熟』40

 ふたりの中に詩は落ちた。玲子は、その呟きが漏れ終わるまで、じっと目を瞑(つむ)って聞き入っていた。そこには邪な観念や醜悪な感情などきっと入り込める余地など無かっただろう。
 玲子は、終わる間に復誦(ふくしょう)し始めた。「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けましょう。波はヒタヒタ打つでしょう、風も少しはあるでしょう。・・・月が出ていないといけないわね。」そう、まるでその情景を準(なぞ)るかのように。「月があって、舟を浮かべてる。波がひたひたと打って、風がある。」優治は、何かを予見して、少し気持ちが固くなる。「沖に出たらば暗いでしょう、櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は・・・」優治がそのあとを受ける。「・・・昵懇(ちか)しいものに聞こえましょう、―あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。」
 玲子は、いまだにその両の目を開かない。優治はその美しさに、あわや意識が吸い取られそうになる。
 「月は聴き耳立てるでしょう、すこしは降りても来るでしょう、われら接唇(くちづけ)する時に月は頭上にあるでしょう。」
 玲子は、そこでふいに言葉を噤(つぐ)んだ。優治は、どうしようかと、その両の目を泳がせた。玲子は待っている。じっと動かずに波間だけに揺れている。玲子は、きっと待っている。優治はおずおずと玲子に近づくと接唇(くちづけ)た。玲子は微笑を湛えると、その詩の続きを呟いた。「あなたはなおも、語るでしょう、よしないことや拗言(すねごと)や、洩らさず私は聴くでしょう、―けれど漕ぐ手はやめないで。」

  ポッカリ月が出ましたら、
  舟を浮べて出掛けませう、
  波はヒタヒタ打つでせう、
  風も少しはあるでせう。

 ふたりにはいまや、その情景しか見えなかった。男と女の誰にも処しがたい空間。飛行機雲が、果てぬ空へと伸びてゆく。虹でも差せばよさそうなものを。鳥の囀(さえず)りさえ聞こえない。まるでこの世は、その呟きだけだ。触れあったふたつの影には、きっと魂さえも溶け合ったことだろう。愛し合う者の、生なる者の、それは宿命という業、であった。






連載小説『爛熟』39

  沖に出ていた。いや、そこは湖。静謐に月夜。まして十六夜(いざよい)。雨なら、小雨でも御免。少し肌、寒い?いや、暖かげ、翳ってはいまい、よそとふたりっきりの時間。煌く波間。そこには彼と彼女の影しか落ちぬ。なのに、だからこそ、詩人の心は激しく揺れていたことだろう。
 詩人は、高坂と共に劇団員達の、いっときの小旅行に誘われた。五月晴れの突き抜けるかのような空、藍、群青。皆で、湖畔にて「手作りのご飯でもたべようよ。」と誰かがはやし立てて実現した、まさにいっときの休息。劇団員、皆、何がしか生活を興す為に多忙な日々を過しており、その合間の骨休め、でもあったことだろう。太陽は、どこからか借りてきたオープンカーの車上、騒ぐ彼らの、その目的地へと向かう出発の矢先から天空を照らしていた。緑が映えている。触れてみて、ざらつく葉先の感覚は、幼い頃に想わずピンで刺してみたくなった、あの造形美の見事さを想起させる。季節の移ろいが、その移ろいを感じさせぬほどそこかしこにただ、整然と留まっている。うららかな自然の陽光にいざなわれて初夏は、また彼らの眼前にいとおしむほどに、たおやかに優美に横たわっていた、とでも表記してみようか。

 いつのまにか、はぐれてしまった。
 玲子は、その長い髪を束ねていたが、何を想ってかほどいてみせた。
 「きっとね・・・きっとみんな、気を遣ったのよ。」舌をいまにも出しそうにいたずらっぽい目で彼女は笑った。
 優治も、乞われて乗ったボートでのふたりっきりの語らいにどうも居ずまいを起こしていたのだが、そんな玲子の笑顔を見せられると、仄かな安らぎを覚えてけっしてこのふたりだけの空間に悪い気はしなかった。「ねえ?、詩人さんてどういうときに詩を編むの?、連想するんでしょ?、いつ、どこでも、なんどきでも?」苦笑まじりに、優治は「いやあ、僕はいつなんどきというわけにはいかないなあ。やっぱり自分をそれなりに追いつめないと書けないなあ」と返答する。「そういうのって、情景みたいなものを想い起こすってことなのかしら?」
 「そうだな。そういう情景みたいなものに、自分が入り込めないと書けないな」「・・・ほら、あなたが好きだと教えてくれた詩人?」「中原中也、だね?」「そう。中也の詩で?」「『湖上』?」「そうそう、その『湖上』の詩って、どんな感じだったかしら」「うん。『湖上』なら、諳(そら)んじることが出来る。」
 優治は、詠った。

  ポッカリ月が出ましたら、
  舟を浮べて出掛けませう。
  波はヒタヒタ打つでせう、
  風も少しはあるでせう。

  沖に出たらば暗いでせう、
  櫂から滴垂る水の音は
  昵懇しいものに聞こえませう、
  ――あなたの言葉の杜切れ間を。

  月は聴き耳立てるでせう、
  すこしは降りても来るでせう、
  われら接唇する時に
  月は頭上にあるでせう。

  あなたはなほも、語るでせう、
  よしないことや拗言や、
  洩らさず私は聴くでせう、
  ――けれど漕ぐ手はやめないで。

  ポッカリ月が出ましたら、
  舟を浮べて出掛けませう、
  波はヒタヒタ打つでせう、
  風も少しはあるでせう。

    中原中也『在りし日の歌』拠り。出典「青空文庫」
  

  
   

連載小説『爛熟』38

 (いまどき、あんな唄を・・・)
 たとえ街行く若者に、そんな呟きが洩れたとしても、詩人は遂に動かずじまいで居た。感に撃たれたといった装いも無く。あわや泣いてしまうほどの煽動もその心根には届かなかったかもしれず、だが、陽が必ず翳るように、彼の胸中には、この時、なにがしかの感光が射した。詩人はただ立ち止まって「我、そのものを知らず」といわぬばかりに先を急ごうとした高坂の足を留めさせた。「聞いてみようよ。」詩人は、目でそう、合図した。聞き入る。「自分でも、あの時の気分なんて判らないですよ。」この時のそれは述懐。大男は歌い終わると、まばらなひとびとを見回して、傍らの煙草に火を灯した。拍手が起こった。詩人も拍手、した。大男と詩人は目線を交わした。一瞬、大男は眉間に深い皺を寄せた。
 小奇麗な魚屋で、ふたりは酒を少しだけ口に含んだ。いや、いいよと詩人は一度断りをいれたのだが、高坂は詩人との久方振りの再会に、うんとご馳走しようといった面持ちで、その小料理屋の暖簾をくぐるそぶりを見せたのだ。
 暮れなずみ、洋風の喫茶店へと足を運ぶ。その奥の方から、その後、詩人が聞き慣れることになる、しゃがれた声が弾んできた。あの大男である。男は、立花といって市井のギター弾きであった。また詩人と目線があった。立花は彼らを見咎めて、ゆっくりと歩んでくるとふたりの横の椅子を指さし、どさりと、その体躯をもたせ掛けた。
 「やあ。昼間、俺の唄を聴いていてくれたあんちゃん達、だね?」
 「ああ・・・、いや、まぁ、そうです」詩人が幼顔に笑顔を湛える。
 「初めて逢った人間に、こんなことを言うのもなんだが、あんたは随分、疲れた顔をしてるね。まだ、若いんだろう?、昼間、一瞬、その顔を見て驚いたぜ。」相手に挑むかのような目つき、Vの字で示す左手。
 「俺はよ。いや、ここであったが百年目よ。なあ?、俺は占星術師でもサギまがいの未来予知者、でも無(ね)え。ただ俺がピンときた奴に助言してやるまでよ。」
 横合いから、高坂。「何が言いたいんです?、そんな・・・いきなり失礼なこと言わないでくださいよ。」
 とたんにへりくだる立花。これ以上は無いとでも言えそうな屈託の無い、くしゃくしゃな顔になる。「いや、ごめんな。これが俺の流儀だ。うん?、にいちゃん、彼の友達かい?」
 「はあ、まあ、友達です。」「そうか・・・、なさ、良さそうじゃん?」「まあ、そうっスね」その振幅の激しさに、つい気勢をそがれる高坂。煙草に火をつける立花。「・・・俺は、歌うんだよ。それは唄が、この世のものとも想えぬほど好き、だっていうのもあるが、自分にへどを吐きつけたくなるほどに口惜しいことなんかがあった時、歌いたくなるとか、そういう自分流儀じゃなくてな、」そこで立花は、詩人を睨んだ。「あんたのような男を見たとき、俺は猛烈に歌いたくなる。男だけじゃ無(ね)え。あんたみてえな女を見たとき、俺の中でブルースが加速、する。癒すんじゃあ無(ね)えよ。ただ、その感覚みてえなものを歌ってるだけだがね。」
 立花は、そう言って、自身の顎髭を摩るしぐさを見せた。ニヒルに笑みを湛えている。だが、その微笑には何かしら愛嬌があった。詩人は、このとき、一言だけ立花に言葉を返した。
 「・・・・・・あなたみたいなことを言うひとを、僕はいままで知りませんよ。」
 とたんに立花はくず折れた。威勢よく大口を開けて、ゲラゲラと笑いだした。「いや、すまんすまんすまん。俺、ちょっとええ格好(かっこ)しい科白、吐いちまったかあ?」詩人は、ものの見事にあっけに取られてしまった。高坂も、含み笑いの呈、である。

 その夜、男女の異声(いせい)がいまだに絶えぬ午前三時。ほの灯りがたゆたう部屋の隅で毛布に包まれた詩人は、感慨深げにこう、呟いた。「また、東京に来ようかな・・・。」詩人には、色を成して変化(へんげ)するかのような東京という街並みが、充分に、まだまだ、魅力的でさえ想えたのだ。高坂は眠っているのか起きているのか、ただすやすやと小さな寝息を立てている。
 
 

Appendix

Literature sight-seeing『風、早暁記。』

全タイトルを表示

introduction

風友仁(かぜともひと)

Author:風友仁(かぜともひと)
 
 沖に出たらば暗いでせう、
 櫂から滴垂る水の音は
 昵懇しいものに聞こえませう、
 ――あなたの言葉の杜切れ間を。

 月は聴き耳立てるでせう、
 すこしは降りても来るでせう、
 われら接唇する時に
 月は頭上にあるでせう。

 あなたはなほも、語るでせう、
 よしないことや拗言や、
 洩らさず私は聴くでせう、
 ――けれど漕ぐ手はやめないで。
   中原中也『湖上』拠り 
*『爛熟』この書を我が畏敬のひとり、中原中也の御霊に捧ぐ。


*an information desk *
皆々様の厚きご支持、心より傷み入ります。有難うございます。

*新たなる風の舞、ここに興つ。*
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*今後とも『爛熟』並びに風友仁の綾織る世界観にどうぞご支持、ご声援のほどを、宜しくお願い致します。
 
  2006・1・15 心を込めて。
         風友仁

*連載小説『爛熟』に就きまして*
 この物語は、空想の物語であり、一部事実を基に脚色なされておりますが、登場する人物及び団体の名称等、ある特定の人物及び団体等を示唆、揶揄、誹謗、中傷する類いのものではありません。飽くまでも架空の物語としてお読みくださいませ。またもしや名称、団体名等が同じでも飽くまでも架空の物語でありますのでその点、どうぞお知りおき下さいませ。皆様のご理解の程、何卒宜しくお願い致します。著者・風友仁


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A collection of wise remarks

Literature sight-seeing『風、早暁記。』

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